このアカウントは存在しません 桃は剥くとしばらく手から香るから好き
cFQ2f7LRuLYP.icon
わからん
アカウントが存在しないということと桃が好きな話がどう関わるのか
アカウントを消し、実生活を謳歌していることを言ってる?
SNSでなんかやっても特に香りはしない、でも桃は剥くと手から香りがする、だから好き 生活の様子
https://www.youtube.com/watch?v=v6KoMk8YQh8
包丁を使っていた
甘ったるい香りが手に纏わりつく
でもなんで「桃」?cFQ2f7LRuLYP.icon
いちごでもリンゴでもバナナでもぶどうでもなく、桃なのはなぜか?
特に理由はないよ説
なんとなく
作者が桃が好きだったからだよ説cFQ2f7LRuLYP.icon
これは歌にも言及あり
SNSで疲れたし、アカウント消して桃でもたべよっか。おっ手からも香りがするぞ。好きだ……。
桃はなにかの隠喩だよ説
まだ具体的な説明ができてないcFQ2f7LRuLYP.icon
アカウントが消えているのは誰か?
自分だよ説
初見ではこっちにとったcFQ2f7LRuLYP.icon
他人だよ説
なのでcFQ2f7LRuLYP.iconは、「SNSから離れようとアカウントを消した。桃でも食べよう。桃は剥いても手から香りがする、スマホと違って。こういうとこ好きだ」と解釈しましたcFQ2f7LRuLYP.icon
そういう生活はSNSから見えない
この読みはcFQ2f7LRuLYP.iconがアカウントを消した経験から来てそうだな……cFQ2f7LRuLYP.icon
meganii.icon
Twitterの「このアカウントは存在しません」の画面で、空っぽのアイコンマークからの連想?
桃って柔らかいのでそーっと剥かないと剥くとになりそう
手でひん剥いて中身を露わにさせる、露呈する
まさにいま話題のDNSクエリの問題点指摘問題のような感じ
桃は「心」の比喩として見える?cFQ2f7LRuLYP.icon
やわらかい心に素手で触れる(触れてしまえる)
アカウントからSNSにまつわる
相手をひん剥いて、垢バンされたのでは?
剥いた相手のことを「しばらく手から香るから好き」という人がいるとすれば、よく理路がわからなくてこわいcFQ2f7LRuLYP.icon
ほとばしるサイコパスmeganii.icon
桃の赤い皮で手が汚れている
コワい
相手がSNS上で悶え苦しみ抵抗する様を「香り」と表現している?yosider.icon
ひん剥かれた相手のほうがもう無理となってアカウント消した説yosider.icon
短歌からシチュエーションをトンデモ想像するゲーム楽しいな
桃は好きだけど、お前は嫌いだって感じ?
素直に美味し桃を手で剥いて食べると、手がベタベタになって、パソコンもスマートフォンも「しばらく」触れない
SNSからしばらく距離を置こうっと
ブロックされた説
なるほど、一方的に見ていたアカウントが無くなった
これって短歌なんですかseibe.icon
57577が短歌だと思っていて、指折り数えてみたら全然音数が合わなかったので
破調のはなしためになったseibe.icon
57577から破調していますねcFQ2f7LRuLYP.icon 八音/八音/六音/七音/七音
このアカウントは/存在しません/桃は剥くと/しばらく手から/香るから好き
なので、ちょっと音の多い短歌としてみることができると思いますcFQ2f7LRuLYP.icon
破調の効果がどのようであるかは考えたいcFQ2f7LRuLYP.icon
この歌だと「このアカウントは存在しません」といういわば慣用句。これを改変するとTwitterやXそのものからは離れてしまう。なので短歌の定型から外れても入れたのでないか
見事なのは、この慣用句がありながら、奇妙なバランスが取れているところだと思うcFQ2f7LRuLYP.icon
それは三句目以降の「桃」とその性質という、一見突拍子もない事物と組み合わせることで実現されている
慣用句を簡単に使っていない
初心者は「定型を守るように」と口酸っぱく言われることが多いです
カタチは伸び縮みしないけど、言葉のほうが伸び縮みするんだよ、わかるかな?
破格するには、まず破るべき格についてよく知っておかないといけない
biwa.icon
「桃は剥くとしばらく手から香るから好き」という名前のアカウントが削除されていた
面白い解釈だcFQ2f7LRuLYP.icon
もうそのアカウントの話聞けないじゃないか
nishio.icon
SNSで一方的にフォローしているだけの、好きな人がいる
ある日、アカウントがなくなってた
フォローして一方的に見てただけなので何が起きたのかもわからないし、好きだった気持ちを告げることもできないし、さよならを言うことすらできない
喪失感
なるほどmeganii.iconcFQ2f7LRuLYP.icon
桃を食べる
喪失感を補うcFQ2f7LRuLYP.icon
あるいは作者の葬送の儀式なのかもしれない
桃は食べて無くなった後も香りが残って好き
急に消えてしまったアカウントと違って。
鋭い指摘だと思うcFQ2f7LRuLYP.icon
この解釈好きmaichan.icon
「という解釈もできます」
みんなで色々解釈して楽しむものなのかな
一通り解釈がまとまったあとで聞くcFQ2f7LRuLYP.icon
聞いたcFQ2f7LRuLYP.icon
アカウントに対する解釈が違った~
kumatako.icon
消えてしまっても残るもの
「桃は剥くとしばらく手から香る」
桃は腹に消えたあとでも手に香りが残っていて存在を感じさせる
「このアカウントは存在しません」
アカウントが消えたあとにも、あった存在の名残だけが残っている
なるほど、桃と消えたアカウントにも共通点があるのかcFQ2f7LRuLYP.icon
桃とアカウントの違うところは、名残を感じたときの気持ちかな 桃の香りは満足、アカウントは別れのさみしさ
Pixivのブックマークの消えてしまった作品みたいだ cman.icon
このアカウントは存在しません 桃は剥くとしばらく手から香るから好き
空白で区切られていることから、この二つの文が隣り合うところに意味があり、どのように響き合うのかというところに短歌としての詩情があるとわかる
一見二つの文は無関係だが、並べられている以上は関連するもののはずだから、どこかに通底するような詩情がある
関連性の公理的な
この「え?なんでこの二つが並ぶんだ?」という予想のされなさが、完成された短歌の一つの条件だよなぁというところはある
それぞれについて考えてみる
「このアカウントは存在しません」
これで現代に生きる人が想像するのはSNSアカウントが削除されているという場面
どこか無機質で冷たい感覚がする
デジタルな画面のイメージ。実感というよりも画面上にある視覚のイメージがある
自分はアカウント名もそのアカウントも覚えているけれど、アクセスしてみるとそこには無機質な文が返ってくる
5/7なところが8/8になっていることで、奇妙な違和感のようなものがあり、それが無機質さや冷たさ、そこにあるショックみたいなものを増幅している気がする
「桃は剥くとしばらく手から香るから好き」
作中主体の視点が感じられる
作中主体の視点が感じられるのはここの「好き」という部分だけだが、これがあることによって、歌全体に感慨がかかるような気がする
「剥く」という触覚と、「手から香る」という嗅覚がイメージとして体験される。
嗅覚は特に記憶と関連が深く、場面をありありと想像するような感覚がする
桃というそれそのものの存在を香りによって再現しているような感じがある
そのような感覚のことを「好き」だと言っているのだろうな、と想像できる
音数が6/7/7になっていて、「しばらく手から香るから好き」は非常にスムーズに短歌の韻律に戻ってくる
この収まり方に安心や実感、地に足がついている感覚の増幅がある気がする。
ここも作者の作歌のバランス感覚がすごいところだなーと、評を読んであらためて思いましたcFQ2f7LRuLYP.icon
どのように関連しあうか
基本的に、下の句(桃は~)が上の句(このアカウント~)に意味や解像度の高さを付与するような働きをしていると思う
「剥く」という触覚のイメージで、実際に手を動かした感覚が他の部分にも付与される
アカウントを調べたときの手触りみたいなものが付与され、解像度が上がる
桃を剥いて果肉が出るのと同じように、アカウントを調べて、「存在しません」という文章が目の前に現れる
「香る」という嗅覚のイメージが記憶を呼び起こすような作用をしている
桃の香りで桃の形を想像するように、“アカウントが存在しない”という事実によって、SNS上で行ったやりとりや、その人自身のことをより明確に回想しているのかもしれない
下の句全体が持つ感慨の視点は、「このアカウントは存在しません」という文章に対して、“このひとはどう思うのだろうか”と考える導線になっている。
何もなければ、それはただの事実ではあるが、この作中主体は桃がないときにでも「手から香る」ということ≒残り香によって感慨を感じるような人間であることが下の句でわかる
しかも、その「手から香る」ということ自体を、「桃」が好きな理由として上げるような、ある種独特な感慨、価値観、観方をするような人である
“残るもの”に対して感慨を抱く人は、「このアカウントは存在しません」という冷たささえ感じる文章に、どのような思いを抱くのか。
そもそも、どうして、「このアカウントは存在しません」という文を見るような行動(=昔知っていたアカウントの捜索)を始めたのだろうか
これらをどう考えるかというところに各々が一人称で感じる詩情がある
導線として「好き」があるから、対比があってもマイナスに振り切れることはない、というのが良いなぁと思う。
無機質さ、手触りのなさと、生活への密着感、実感が対比として働いているところもありそう。
cak.icon
SNSの繋がりの儚さを表現しているように思える
フォローしていた誰かを最近見かけないなと思ってアカウントホームを見に行ったら消えていた
少しの寂しさ
しかし次の瞬間には桃を剥いてもうそんな寂しさは忘れてしまっている
千種創一さんの歌よくわからんかったが、皆さんの読解のお陰で前よりもずっと細かく見れるようになって気持ちがいいcFQ2f7LRuLYP.icon ここまで短歌って練ることができるのかと驚きがあらためてある
I'm deeply grateful to everyone who is involved.
手くさいだろはるひ.icon
それは中々手痛いHyou.icon
手痒いと思うSummer498.icon